旅をつづけること
突然ですが、
“Life is a journey, not a destination”
(人生とは終わりのない旅である)
この言葉を意識するようになったのはいつのことだったのでしょうか。あっという間の半世紀、自分の辿ってきた道を振り返ることも多くなってきたアラフィフです。
私は病気で脊髄疾患となり常時車いすを使用しております。小学6年間を養護学校と併設された肢体不自由児施設で過ごし、中学入学を機に地元の普通校へ入学しましたが、これは当時とても珍しいことでした。1学年15人の少人数から1学年380人のマンモス中学へ、テレビで知っているだけだった所謂「不良」もリアルでいましたから、そりゃもうハンマーで殴られるようなカルチャーショックを受けました。80年代前半、そうして私の青春時代はスタートを切りましたが、時を同じくして日本も高度経済成長からバブル経済へ。「キラキラしていて未来も明るく、何とかなるさで生きられそう」…そんな雰囲気の時代が始まりました。半面、所謂「弱者」には厳しい時代でもありました。車いすユーザーが一人で街を行くのが珍しい時代、当時は国鉄だったJRの年配の駅員さんに「なんで介護者連れてこないんだ」と怒鳴られ泣いた女子高生時代。でも多くの友人たちに支えられ、何事にもめげずに行動していたら、なんと時代が追いついてきたのでした!
社会人になって経済的に余裕ができると海外旅行や国内旅行、まさに旅を楽しむ生活に。そんな20代は、私は浦安、川崎、東京と転々としつつ一人暮らしを満喫していました。先程、時代が追いついてきたと書きましたが、実際に生活が楽だなと実感し始めたのは90年代半ば頃から。ハートビル法が施行されたのが94年ですから、それを体感していたんですね。外出時、それまでは洋式トイレがあれば御の字でしたが、多目的トイレも各所に設置され主要駅のバリアフリー化の工事も行われていました。都内は一部不便もありましたが、少なくとも駅員さんから怒鳴られることはなくなりました。やがてそれは、障害者だけではなく誰もが使いやすく設計されたもの=ユニバーサルデザインへの流れとつながっていきます。
しかし残念なことに、日本ではUD(ユニバーサルデザイン)の本質が正しく理解されていたとは言えません。以下の記事が掲載されたのは2012年のことでした。(今は改善されつつあります)
2012.5.23 産経新聞掲載
「車椅子で多目的トイレ利用あきらめた経験74%」
これについてはまた別の機会に譲りますが、UDの間違った解釈が起こしてしまった弊害の一つだと私は考えます。とは言え、格段に住みやすくなった現在、旅は昔ほど難しいものではなくなりました。殊に一人旅においては。それでも不便を感じることも少々あります。
私は自分で運転することが大好きですが、ガソリンスタンドはセルフ式が多いですね。インターホンを押して事情を話せば手伝っていただける準セルフ形式のスタンドもありますがお値段が…。昨今の原油価格高騰により1円でも安く入れたいと思いますが、しかし完全セルフは厳しいです。以前ネットのとある掲示板で「人より余計にお金をもらっているのだから障害者はフルサービスのスタンドに行けばいい」そんな心ない書き込みを見つけ何とも言えない気持ちになりました。実は過去2回、旅先で完全セルフのスタンドに入ってしまいお願いをして手伝ってもらった経験があります。「渋々」という感じが伝わってきて申し訳なく思いましたが、セルフとフルではリットルあたり10円の差がありました。これはやはりお財布には痛いのです。高齢化社会の中、設備が整ってきたとはいえ、そこにはやはり「一人で行動する障害者」は想定されていないのかなと感じることが多いのも事実です。コンビニや銀行のATMも使いやすいとは言えません。低い位置では見えないため身を乗り出せば手で操作できず、なんてことも少なからずあります。でもふと考えます。旅先で、こんなちょっとした困難と向き合うのも一興では?と。
さて、ちょっと無理くりですがやっと冒頭の文章につなげましょう。旅先では楽しいこともありますが道に迷ったり、困難な場面に行き当たることがたくさんあります。ことに一人旅なら尚更ですが、やめることはできません。何故なら私は、これが人生そのものだと思うから。困難があるから喜びは大きく、様々な人との出会い・経験、それらが私の人生=旅を豊かにしてくれるのです。
Life is a journey, not a destination
苦しみさえ楽しむことができたなら…私は旅の達人になりたいです。
脊髄疾患による両下肢障害
鬼島 環